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旅行

東郷平八郎の戦艦三笠に乗ってきた。

2013年8月16日

文字実
この記事は、株式会社シグマ・デザイン社長の文字実が執筆しました。

横浜に行ったついでに前から行きたいと思っていた戦艦三笠を見に行ってきた。

戦艦三笠は日露戦争の日本海海戦で、バルチック艦隊に対して海戦史上でも珍しいほどの圧倒的勝利を収めた日本海軍の連合艦隊の旗艦である。

日本海海戦は東郷ターンや下瀬火薬の使用、東郷平八郎司令長官や秋山真之参謀などの大活躍などそれだけで1つの映画になるような壮大な海戦でした。

その伝説的な戦艦三笠が横須賀の三笠公園というところに記念艦として保存されている。

戦後に荒らされて水族館とかダンスホールが甲板に作られたりしたけど、三笠という世界的に有名な戦艦を何としてでも元の勇壮な姿に戻したいという世界中の志ある人たちの活動によって復元された。

記念艦「みかさ」が凄いのは、甲板上の建造物は一部を除きほとんどがレプリカであるもののそれ以外は当時のまま保存されているという事だ。

甲板の一部も当時の木材やタイルがそのまま残っている部分が一部あり、東郷平八郎長官などの乗組員たちが当時歩いていたものと全く同じ所を歩く事ができるのである。

私も最初は全く気付かなかったが、記念写真を撮影できる所にいたおじさんに教えてもらった。

言われたとおりによく見てみると、甲板に使われている木材が確かに一部分明らかに他と事なっている。

↓これが新しく作られた甲板。奇麗すぎますよね。

↓これが当時の甲板のまま残っている部分。新しく作り直された部分と比べると使われている木材の質や大きさが異なるのがよく分かる。この甲板の上を東郷平八郎はじめ乗組員が実際に歩いていたらしい。

また、当時は溶接技術がなくリベットを打ち込み鉄板を繋ぎ合わせていたらしい。レプリカの部分は溶接が使われているが、一部リベットで接合してある部分がある。

その部分が当時のまま保存されている箇所だそうだ。

↓これがレプリカの部分。当時は無かった溶接の技術が使われている。

↓これが当時のまま残っている部分。リベットで結合してあるので注意深くみればすぐに分かる。

私も含めて多くの人がそんな事も気付かず通り過ぎていたが、話を聞いてそれに気付くと、東郷さんや秋山さんの残影を感じずにはいられず、また命をかけて戦ってくれた全乗組員の諸先輩たちの心境ひ思いを致し、目頭が熱くなった。

もし戦艦三笠に乗る機会があれば、よく注意して見て下さい。当時のみんなと全く同じ甲板を歩いていると思うだけで何か感じる事でしょう。

戦艦の高い所にある操縦室の前くらいにあるむき出しの部分に立って東郷長官は指揮を取り続けたらしいのですが、その立ち位置がプレートで表されていました。

敵艦の集中砲火を浴びながらも戦いが終わるまで一歩も動かずに指揮を取り続けたそうです。爆発などの水しぶきで甲板全部が海水を浴びていたらしいのですが、戦いが終わって東郷長官が持ち場を離れると、立っていた靴の形の部分だけが海水に濡れずに乾いていたそうです。

日本海軍の軍服を着て記念撮影できるスポットがあったので記念に1枚。そこのおじさんからいろいろと熱いお話を聞かせていただきました。

子供たちもおじさんに「勉強して立派に偉くなれよ!」と声をかけていただきました。

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